昭和57年9月18日  月次祭  ●② ⑥   大坪かよこ

  


 信心をすれば、目に見えるおかげより、目に見えぬおかげ多いぞとおおされます。
目に見えるおかげは、誰でもすぐ分かります。
お願いをする、お取次ぎを頂いた、もう思い以上、思いがけないおかげを頂いたといったような、ま、みんなが分かりますけれども、ね、それと反対になったときのおかげをおかげと分かりません。
信心の、私は素人、玄人という言葉で表現するならば、その目に見えぬおかげが、いよいよおかげとして分かって来ることだと思います。
神のおかげを知らぬから、互い違いになるとこう教えておられますが、ね、自分の都合のよく行ったときゃ、は、やっぱおかげ頂いた、神様ちゃやっぱござるばいというふうに、まぁ、もうします。
ところがお願いしたら、むしろ反対になったというときね、はあ、神も仏もあるものかというような事を申します。
その神も仏もあるもんかと言うようなかにあって、神様が歴然として働いてあることが分かるようになる。
ということが神のおかげを知ることだと思うです、ね。
神のおかげを知らぬから、互い違いになる、互い違いではない、それこそ、いうなら、必要なら必要なものが、必要に応じて、ね、それこそ夢にも思わなかったようなおかげが頂けれる、素晴らしいタイミングが、日々の生活の中に頂かれると言うことは、神のおかげを知ったところから、あります。
神のおかげを知らぬから互い違いになる、半分はおかげ、半分はおかげではないと言う間は、いわゆる、やっぱり互い違いになって参ります。
今朝からのご理解に、ね、上から下へ水を流すのは、難しいと、あっ、上からじゃね、下から上に水を流すのは難しい。ね、確かに、下から上に水を流すということは難しいですね。
けれども、段々おかげを頂いて、ね、上から下へ水を流すようにスムーズなおかげの世界に住むことがでけるようになるのです。
信心が難しいと言うのは、その、下から上へ水を流すような時代にやはり信心は、難しいと言うのでしょうけれども、ね、その難しい中に、ね、いよいよ神様のお働きを感じる、辛抱していくうちに徳が受けられると仰せられる、その普通では辛抱のでけないような中を、辛抱していくうちに、力が付いてくる、徳が受けられる。
徳を受けたら、今申しますように、ね、いうなら、信心する者は肉眼を置いて心眼を開けと仰せられますから、心の目が開けてきて、あれもおかげであった、これもおかげであったと分かるようになる。
信心の精進という焦点がそこにやっぱり置かれなきゃいけません。
先ほど、お食事の前に、お相撲が今あっとりますね、私は相撲があんまり好きでないから、分かりませんけれども、ま、一番強い横綱、なんとか言いましたか、なんとかの国、北の国かなんかちゅう、あ、北の海か、北の国じゃなかった、北の海が、あの、とっておりました。あっと思うたら、ちゃっとしまえておりました。
したら評をする人が、素晴らしい、素晴らしい相撲だったと、ね、その闘士が素晴らしい、もう満々たるものだったと、もうえらい褒めますもん。で私はあっという間にしまえたけん、ほほう、こんな相撲がよかつばいの、と思うちから、見ましたけれど、玄人見にはよかったわけですけれども、素人は取り直しどんやって、いつまーでん、とっとりゃよかとんごつ思うとる。
素人と玄人とはそげん違うですからね。
ほんなぱっという間に終わってしもうて、は、それが素晴らしかったちゅう、どこんにきが素晴らしかったじゃろうか、私は思うけれども、そうなんです。
お芝居でもやっぱりそうです。
ね、まぁ、私どんは少しばかり、芝居がまぁ、玄人のほうですから、特にあの所作物なんかが好きなんですね。
鳴り物もいいし、の、役者の現出というものがそれで分かってくる。
ね、ところがその、素人さんは、素人さんはちゅうか、はどう言うかというと、あの、まだそげん早うそから行かんでん、ね、まだ、今頃は、三番叟どんがありよるとじゃけんで、まぁ一ときしてから行こうちゅ人があります。
私どんは三番叟を見る前にまぁいっちょ、お芝居のあの雰囲気を味わうことが、やっぱしなんとも言えん楽しみです。
もちろん三番叟なんかという、あの、まあ、踊ですよね、それこそ軽妙洒脱な踊ですが、ね、それ見らなければ、たとえば芝居を見た気はせんのです。
ところが素人は、今行ったちゃ、まだ、三番叟が始まったばかりじゃけんで、ち言うような、なにかこう、筋がね、悲しかったり面白かったりするようなのでなからなければ、おもしろう芝居だとは言わん。
芝居見たようなふうには思わない。
●⑥ ね、あるときにある奥さんがね、女中さんを伴にしてお芝居に行かっしゃった。
まあ、素晴らしいその、まぁ、人情劇かなんかでしょうね。もうそれこそ、悲しい、悲劇のお芝居があっておった。
ところが後ろの女中さんがけらけら笑うげなもん、あんたばっかりはこげな悲しか芝居ば見てから笑ちからちゅうたら、あら、ほんな事で泣きよんなさっとじゃ無いですばい、奥様ちゅたげな、それがみんなで泣きよんなさるけん、おかしかちゆうて、そういうこつばっかりゆうちから、あんた、ちゃっと自分の身にひっきょして見てごらん、涙が出るばいちいわっしゃったげな。
それから、あくる日、また行ったげなつんのうちいったげな。
そしたらいま言うその三番叟が始まったそうです。
そしたげなら、もうハンカチを出してさめざめと泣くげなもんその女中さんが、こらこらあんたこん三番叟から泣いてからち、したらその女中さんがいわく、ね、昨日奥様が自分の身にひっきょしてからち言いなさったから、自分の身にひっきょしましたち。あげん舞台で飛んだりはねたりするならね、足のあかぎれがどげん痛かじゃろうかちゅうた。
素人と玄人はそげん違うてくるですからね。
足のあかぎれが痛かろうち、あげん飛ぶなら、だーれでんあかぎれが切れてあるごと思うちゃる。
信心もやっぱ皆さん笑いなさるばってんそうですばい。
ほんとにここは有り難いとありがた涙がこぼれるような時に、ね、ぶーっとして腹けたり、もう神様というふうに、不平不足を言うてみたりする。
●② ね、今朝からのご理解の研修を、今日は三時の研修を頂きながらでしたが、ね、ほんとにその天然地念というね、今朝から、田主丸の小野病院の院長先生が参ってきました。 毎朝参って来るです。したらこげな事ばお届けしたら、そげな事あなたがお届けするけんで親先生から付け込まるる、ちゅうごたふうな意味のことを、家内が言いましたばってん、やっぱりお願いせにゃぁはおれません、とこういうのです。
どういうことでしょうかちゅうたら、最近患者が非常に減って、昨日なんか、もう五、六人しかなかった。どうぞお繰り合わせを頂きますようにとこう言うのです。
もう椛目時代からですから、三十年間、それこそもう、こちらに田主丸に居る限りは必ず日参をされます。
ね、ちょうどこの頃の信徒総、大会の時に、ちょうど私の横に先生が座っとりますもん。
お話しするときも、前でしたから、前に居るとが分かるから、そしてその小野先生のことからだから、お話しが始まったんです。
もう三十年も前の話、椛目で私どんがここで、一ノ瀬という、あの陶器のところがありますね。陶器を焼いてる、そこに私共参りましたら、大きな陳列に、額皿が上がっとる。
その額皿に天然地念と書いてある。
ほら、これは天然地念なんかては、当時の椛目で御理解が頂いたもんであって、字引を引たっちゃ、こういうことがなかが、と思うて聞きましたら、これはあの小野病院の、院長先生がお書きになりましたとこう言う。
ね、だからそのことを今日は私はそのことを小野先生に言うんですよ。
ね、三十年前にこういう素晴らしいことを、あなたは覚えておって、すぐ書くぐらいに覚えておった。天然、天然、然とは自然の然という字が書いてある。天然、地念とは、地に念ずると書いてある。
ね、その当時、やっぱ椛目の信心は天然地念の時代だったんでしょう。
ね、いわゆる天に任せて地に縋らなければおれないという時代であった。
だからこういう信心があの時分に分かっておったら、段々合楽で言われる地真水心と言われるほんとの真、真の信心というものを目指す、地真という地の真とある。
真、真というけれども、地の心が体得でけて初めて真といえるんだと。
それには素直な水心である。ね、水の素直さというか、ね、角いなら角い、丸いなら丸い器にしたごうて、水の心といったようなものが、信心には求められる、それが、でけなければ、信心の奥がには進まれん、ね、そういう、ま、天然地念、そういう信心が、ね、体得でけとりゃ、今頃はもう、それこそ小野病院の大した大きな病院になっとっとるとでしょうばってんね、と言うて申しましたけれど、ほんなこっつですねとも、言わんですもんね。
知っちゃおる、頭の中で分かっちゃおる、というふうな、表情しかしない。
ほんとですね、もうこりゃ言うて聞かせても分からん者は、何十年経っても、やっぱそれからとうて、なら、日々お参りをしてくる、さあもう夜も夜中もない、もう死に掛かっておる患者をお願いしまーす、電話かかってくる。と助かる、もうあそこでは助かることは絶対です、は、それでもその患者が少ない。
ね、いわゆる堂々回りのいうならばおかげである。
一つも上に進まない。
ね、ここでは一つ一頑張りせにゃというところを、頑張らない。
だから、やっぱ元に戻ってしまう。十里の坂を九里半登っても油断は出来んぞと仰るが、やっぱり九里半登ったとこにはちっときつか、もうそこん峠という時にはきつい、そすともう、元に戻ってしまう、そこばいたり来たりしよるから、おかげが一つも進展しない。
日勝り、月勝り、年勝りといわれるのに、ね、日勝り、月勝りになっていかない。
合楽の、なら、椛目時代から今日までのことをこう思うて、何かがある、血の涙の出るような思いをするような事もあったけれども、そういうたんびんに、合楽は大きくなってきた、峠を越した。
ね、そして向こうへ降りたら安心じゃと仰るような、ね、神様が安心して下さる。その神様の、もうあの氏子は大丈夫と安心して下さる、その安心が、こちらに響いてくる。
こちらも安心のおかげが頂かれるようになる。
その内容がです、ね、あれもおかげであった、これもおかげであったと分かるようになると。
四神様のみ教えに、目に見えるところばかりを大切にして、目に見えないところを粗末にします、というこの、私のこの客殿の上に扇子型の、扇子ですけれどもそれを表装しておる、それに四神様のお言葉が上がっておりますね。
目に見えるところを大切にするけれども、目に見えないところを大切にしない。
ね、なぜかというとです、ね、いうならば、真がないからです。
ね、真が分かるようになると、目に見えないなら見えないとこほど、大切にするように段々なりますから、目に見えるおかげよりも、目に見えないおかげのほうが多いというおかげの世界を知ることがでけるのです。
ね、今までは気が付かなかった、目に見えなかったところを、おかげでないように思うておった、そこに神意の深さ、というかね、広さというものをいよいよ感じていくから、深い広いね、限りないおかげの世界が、生まれてくるのです。
いよいよ目に見えない世界といえば、この二十三日は、月次祭に合わせて、秋の御霊祭りが行われます。
御霊祭りが近づいてまいりますと、お互いのところの御霊の神様たちの働きが非常に起こってまいります。
特に教会を中心にしたところの御霊様達が、活動を始めなさる模様が、皆さんいろいろとお知らせを頂かれる。
昨日は熊谷さんが、今朝方から、もうお夢を頂いて、久富先生、久保山先生それにもう、まあ、知ったお方、知らないお方の御霊様、御霊様とも思われなかったけども、沢山な方がもう親先生のご理解を頂いて、そうどこじゃありません、有り難うございます、ありがとうございます、もう大変有難がってお話しを親先生から頂いておられるところであった。
私もそれを聞かせて頂いて、ありがたーい御理解であったけれども、目が覚めたらそのどういうお話であったか分からなかったというお夢を頂かれた。
ね、合楽を中心にする様々な行事、とくにお祭りなんかは、さあ、二十三日は御霊のお祭りですぞと、久保山先生やら久富先生が、もうこうみんなをお祭りを頂く心準備でも出来ておるということになるのじゃ無いでしょうかね。
これも昨日、吉井の波多野さんがお夢をいただかれたのですが、これはあのむつやのお母さんですね、石井清子さん、もう沢山の反物の中に座っておられるお知らせでございました。
この不景気に、不景気知らず、あんた方は不景気知らずじゃないのと言われるくらいに、まぁ段々繁盛のおかげをいただいておる、そこには、親の信心の徳というものが残っておるという意味じゃないでしょうか。
おかあさんの御霊様が、もう沢山な反物の中に埋まれるようにして座っておられた。
やはりこれなども、御霊のお祭りが近づいてきたから、ね、そういうみんなが、目に見えないところをお粗末にしがちですから、そういう働きが起こってくるのじゃないでしょうかね。
どうでも一つ目に見えないといや、自分の心、ね、または、お先祖のこと、ね、第一分からなければならんのは、ね、神様のね、おかげ、ね、それが分かるようになる信心の修行がいるのです。
それにはなら、今朝から頂きますように天然地念、もうほんとに今こそ、ね、大地にひれ伏して、ね、祈りに祈らせてもらう、ね、天に任せる、地に縋る、いわゆる任せて地に縋るという信心が、まずでけなきゃいけません。
今日はご理解に、たまたま善導寺の原さんの所の信心始めの時の話を、皆さんに聞いてもろうた。
ここで今楽の御用を頂いておられます原昌一郎さん、ね、笙のおかげを頂いておられる、が、あー、もう三十年前の話なんです。
もういよいよ今日は難しいとお医者から言われて、親戚にも皆電報を打ったから、みな集まってきたけれども、もう難しいといいうことであったから、もう、あの、告別式の準備をして、遠方の親戚なんかは集まられたというほどしに悪かった。
ね、ちょうどお月次祭の、夏のお月次祭の晩でしたが、もうお祭りが済んで私共そこに座って、あの、まあ、私の取り巻きの先生方とお話しをしておる所に、それこそランニングシャツ一枚で真っ青な顔をして、自転車で走りこんでくるようにして、参って見えた。
ね、昌一郎が死によります、もう半分な死んどります、半分なもう諦めとります、もうほんなこつば言うちください、ちいうて、何かもう詰問するように私に言われるんです。
で私が申し上げました。半分な死んどる、半分な諦めとるなら、もうしまえとるじゃんの、ち私が言いました。
そんなこつ言わんな、すぐ帰ってから、裏の畑にどんずわって、それこそ天に任せて地に縋り信心に、一心不乱に願いなさい。天地に願いなさい、というてまあ、激しく申しましたから、帰られて、ま、そうした信心がなられましたが、それからというものの毎日毎日、もう奇跡としか思われないような働きが起こって、ね、あの元気なおかげを頂かれて、ここに三十年間生き延びのおかげを頂かれて、楽の御用がでけておる。
ね、考えてみるとその死ぬか生きるかというほどしのことを信心を頂いて、分からしていただくことは、はーあ、あれが原家に対する大きなおかげを下さろうとする、いわばおかげ始めであったということが分かるでしょう。
神愛であったということが分かるでしょう。ね、で今日、私が研修ん時に、千恵子先生にあんたが幾つじゃったね・・?ちゅうたら、小学校でしたち。ね、今日お話を頂きよって、もうあのときのことをまざまざと思い浮かびさしてもらった。時々やっぱ思い浮かべにゃいけませんばい。なあ、おかげ頂いたときのこと。
ん、それがいつの間にか忘れて来るような事ではおかげにならん。
それから千恵子先生が結婚されて、それから子供ひとりもうけられて、ご主人が交通事故に合われて、亡くなられた。
そん時に、両親がもう微動だもしなかったのには、もう信心のありがたさを、こげんありがたく感じたことはございませんでしたという話を今日致しました。
ね、それから、まぁ、数年間の信心が続けられて、それこそ日参り、夜参りをするように夫婦でこう熱心に信心がでけました。
そしてたとえば、言うた、聞いただけも身が震うような目の前が真っくろなるような、ことが起こったというときにです、両親が微動だもいたしませんでした。
ね、信心の力というか、が、段々育っておったことになるのです。
ね、そしてなら、道の教師として御取立てを頂いて、親子で今、ここで修行しておりますが布教んでも出ても、沢山の人が助かるようになることでしょう。
ね、その、なら助かることの元は、どういうことであったかというと、ね、お兄さんの昌一郎さんが、ね、死ぬか生きるかといったような時に、ね、それこそ天に任せて地に縋る信心さしてもろうて、段々信心を頂いていくうちに、地真水心が分かってきた。
信心には、ね、いわゆる真が大事だということが分かってきた。
真の信心、真の信心と真の信心を追及してみれば、ね、真の信心とは、天地の心を心とする以外にはない、大地の心を心とする、いうなら、ここで黙って受けるとか成り行きを尊ぶと言うような信心に徹していく以外はないということになった。
信心には素直さが求められる。角いなら角い、丸いなら丸い、に、のものに、器にしたがっていく水のような心にもなりたいと言うよな信心がすぐでけてきた。
ね、ということになるのじゃ無いでしょうか。
ね、そこからね、まぁ、振り返ってみると、神様のお働きに無駄はないと言う事が分かる。
それは、忌まわしいといえば忌まわしい、交通事故で亡くなるといったようなことは、ま、悲しいことに違いはありませんけれども、その悲しいことを、悲しいことで終わらせず、ね、そこを境にいよいよ真の信心に進んで行けれるというところにです、ね、限りない、なるほど、あれもおかげ、これもおかげということが分かります。
ね、あれもおかげこれもおかげであったと分かるようになると、一人前の信者、真の信者と仰せられますように、ね、そのおかげがおかげとして分かるから、互い違いではない、素晴らしいタイミングの中に、いうなら、神恩かたじけなしと言う信心がでけて参ります。
神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き、身代もでけ、と仰せられます。
そういうおかげを頂かなければ神の大恩が分かりません。
ね、神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続く、神のおかげをおかげと分かれば、ね、おかげをおかげと分からんから、互い違いになる。
いや、おかげは分かります、ね、分かっていきよるごたある、どこが分かっていきよるの、とてもこげな素晴らしいお芝居は、あんた、何ばみて涙流しよるのち、ほらもうわが身にひっきょしてから、ね、あげん飛んだりはねたりせにゃんなら、そうに痛かろうち、泣きよるような頂き方の信心ではいけんのです。
ね、いうなら、お芝居ならお芝居の本当の、いうならば、良さが分かってくる、お相撲ならお相撲のほんとの玄人が見るような、見方がでけるようになって、ほんとに相撲が楽しいものであり、お芝居がまた、有り難いものだということになるのじゃ無いでしょうか。
ね、信心がいよいよ、有り難いもの楽しいもの、しかも愉快にまでなって行けれる手立てというのが、御理念による、いうならば、御教えにそれを行じていくということなんですよ。
ね、分かりません、私共は分かりませんけれども、その目に見えないおかげを、いよいよ探求していかなきゃいけません。
思うてみればみるほどに、はあーあん時のあのことがおかげであったと、分かってくる。
ね、お先祖を大切にせろと言われるけれども、ね、お先祖様が喜びござるじゃら、どうしてござるやら分からん、もう死んでしまや、もうそれこそ、そいでお終いのように思うておったが、親先生が親を大切にせろ、先祖を大切にせろと言われるから、ね、それこそ真を込めて御霊様を大切にする、お祭りでも大事にさせて頂きよったら、ね、それこそ、御霊様が御礼を言いなさるかのように、そういう信心が目には見えないけれども、響いてくる、通うて来る。
ね、そういう心がです、ね、いわゆる、目に見えないおかげがいよいよ分かってくることになるのじゃないでしょうか。
ね、二十三日の、いわゆる御霊様のお祭りには、いうなら、目に見えない世界との交流なんです。
ね、それがね、交流ができる出来ないは真一つなんです。
ね、沢山のお供えをする、それが、交流すると言うことでじゃない。
ね、もうそれこそ、思いを込めて真の、いうならば、信心をさしてもろうて、真の心を持って、ご先祖にも接していく、そっから、真の交流が始まります。
ね、そこから、産みなされてくるおかげであります。
先ほど、楽のおかげをいただいとる前田さんという方が、お届けをされますのに、今朝からもう、とにかくもう、勿体無い有り難いお夢を頂いたと、まあ、忙しい盛りでしたから、簡単に聞いたんですけれども、私があの結婚をしております。
その結婚の相手がどなたじゃろうかと、誰じゃろうかと思うたら、もうそれはそれはもうそれこそ優しい、優しい大黒様でしたげな、包容力のありそうな、その大黒様と結婚すると言うところで目が覚めてもう、勿体無うして、勿体無うしてというお届けがございました。
ね、大黒様と言やぁ、まぁ、私ということにもなりましょう。親先生との交流というのは、どこかというと、私は真だと思う、ね、真心だと思う、もう私はほんとにあの、これをね、しかも限りなく追求していくという、今日、久留米の野口さんがお参りになりました。
お姉さんがくみこさんというのがおりまして、野口さんのお姉さんになる方が、熊本におられました。
ところがここに子供がないもんですから、そのくみこさんたちが親子四人で一緒に生活をするようになって、そりゃもう、くみこがようしてくれるからといって、喜びよんなさった。
ところが最近どうも、そのほんとの叔母さんだけれども、叔母さんとの間に、具合よういかん。
だから、くみこさんが外に働きにいくといったようなことになってきた。
昨日電話がかかってきて、こうこうだから、というので、親先生にお伺いをしてくれと、今のような模様なら、もう一緒におるごとないというわけなんです。
ね、そして今朝方から、お夢を頂いたとこう言うのです。
というのが、あのある何か市場に参りましたら、久富繁雄おっちゃまがおんなさる。
そしてコップに氷水を運んでおられる、はら、おっちゃま、ちゅうたら、今親先生んところに持っていきよる、ち。
私それ聞いて驚いたです、実際は。
私皆さんご承知のようにいただいておるのは、みんなこりゃあの、あれです、どくだみを煎じたものです。
ところで今日は朝から、月次祭ですから一日御用しておられましたが、私がここへ座ったらすぐ、あのちょうど野口さんがそこに来ておられるときに、それこそコップに氷を浮かして、水を持ってきなさるもん、ありゃ、今日はどうして水じゃろかと思いよったらです、もうそれこそ、野口さんがそれを聞かれてですたい、もうほんと神様が生きてござると、私は今日は、氷水を持ってきてくれんのちゅうたわけでもないのに、おっちゃまが氷水を持ってきておられる。
今朝から、お夢頂いたのは、だから真とは、そんなもんですよ、通ずるんですよ。
もう昔の話ですけども、あの繁雄っちゃまが、たとえば畑でお仕事をしよると、ね、お腹が痛くなった。いた、これは、親先生がお腹が痛みよんなさるとじゃなかじゃろうか、というて、仕事きを変えて、椛目にやって来ると、私が腹が痛いちゅうて寝とる、と言ったような事がいくらも、何回もございました。
ね、だからその結局、その真です。それで私は今日、野口さんに申しましたが、くみこさんに電話でよーと言うてくれんの、と。お姉さんになりますからね、合うの合わんのていうばってん、こっちは、まーだ、こっちはが真が足らんとばい、ち。
ね、そして今、あんたが頂いたお夢のことと、今、あんたが今日出会うたこのことをしなさいち。
話してくださいち、仕事にでるとか、叔母さんの、いうなら気持ちに添いきらんでおるということは、真が欠けておると悟れと、という、まあ、ほんとに 親先生まあ、あの、もう、目の当たりにそのことを見ておるからね、そ、まあ、喜んで帰られました。
そいでこちらにかん袋を持ってきて、こりゃちょうどこちらへ来がけに、あの、きびで、ほんとのきびで作ったお団子を売っとりました。そしたらそれが、何に効能があるということ書いちゃるとを見たら、親先生がお具合が悪いとにちょうどよかろうごつあったから買うてきたとこう言う。
黍団子、串にさしちゃる、私が研修ん時にそれを出してから、ここで・・?むしゃむしゃ頂きながら、みんなもいっちょづつどうぞ、ちゅうてから、先生方皆上げました。
ほーらなかなか美味しかった。
ね、そして、どこまでその、みんな、行き渡ったかどうかと聞いたら、女子が半分、男が半分しかいきわたらじゃった。
ははー、とにかくその、上んレッテルに書いちゃある、日本一の黍団子ち書いちゃる。
はあ、まだ黍団子をやらなきゃ言うことを聞かんと言うごたあるとが半分ばいの、と私は思うた。
黍団子はもらわんでん付いていかにゃおられん、と言う人が半分、私は今日皆さんに分かって頂きたいのは、その黍団子はもらわんでも、もう、いただかんその中に、目に見えないおかげがあることを知って頂きたい、そして目に見えないところのおかげをおかげと分からしてもろうて、互い違いのない、素晴らしいタイミングの生まれてくるおかげの世界に住んで頂きたい。
ためには、目に見えないものを大切にすると言う生き方を身に付けなきゃいけない。
いよいよ、この、いわゆるお先祖のお祭りなんかというのは確かにそうですから、一家を上げて、御霊様との玉串仲を取り持たしてもろうて、ね、御霊に喜んで頂く様な信心を、いよいよ身に付けていって頂きたいと思います。どうぞ。